【體育會蹴球部】『誇れる軌跡』浅田武男君(SO / 1985年法学部卒)

先日の【體育會蹴球部】11/23(木・祝) 第100回ラグビー早慶戦のご案内は、多くの方々にご覧いただきました。どうもありがとうございました。これまでのどの人気記事(【甲子園】祝・優勝!陸の王者 慶應、頂点極める2023年度 矢上祭のご案内)よりも、ページビューが伸びました。

慶應ラグビーに関する記事の投稿に大きな反響をいただきましたので、当会の事務局長を務める山形美弥子が原稿を執筆し、2021年5月27日発売の『ラグビーマガジン』(2021年7月号)に掲載された、體育會蹴球部OBの浅田武男君(ポジション:スタンドオフ / 1985年法学部卒業)の記事「誇れる軌跡」をご紹介させていただきます。

 

【使用されている表現は、記事の執筆年(2021年)当時のまま掲載しています。本サイトでは、編集部による校正前の、原稿の原文を引用しています。】

『誇れる軌跡』  浅田武男

「私が力を入れていることは、後にも先にもラグビーだけです」と胸を張るのは、タイガー軍団の最強時代を築いたレジェンド、浅田武男さん(58歳)だ。三井住友信託銀行に勤務する傍ら、名門クラブチームでプレーを続けている。

プレースタイルは唯一無二。

大学4年時の死闘は、日本ラグビー史に鮮やかな煌めきを放つ。
1984年11月、慶明戦をラスト1プレーの逆転で制した慶大。続く早慶戦にも劇的なドラマが待っていた。大観衆を飲み込んだ国立競技場。勝てば対抗戦・全勝優勝。後半30分過ぎ、慶大は執念のトライを挙げ、10-11とする。逆転ムードに、熱狂はピークに達した。プレースキックに命運が懸かる。観衆の注目が浅田さんの一挙一動に集まった。22㍍ライン内側、ゴールポスト右。地面にボールを据え、体の向きを整え、3つ数えるように息をつく。重圧を跳ね飛ばすようなトゥキックの音が響いた。ボールは正確な軌跡を描きながらクロスバーを越えた。12-11。勝った。津波のような大歓声と万雷の拍手。1コマ1コマが、永遠にその様子を留めるような、素晴らしい光景だった。

楕円球との出会いは11歳。慶應幼稚舎(小学校)は5年に進級すると部活を始める方針だ。親戚は慶大の現役選手、2歳年上の兄・哲生さんがやっていたこともあり、ラグビーに決めた。少年は一途に鍛錬を重ね、絶対不動のSOへと変貌を遂げる。
大学では厳しい縦社会と激烈な実力主義を経験した。浅田さんのように1年目から試合に出る部員など、ほんの一握り。早慶戦に起用された18歳のSO。トライ数は1本差、ゴール数で明暗を分ける接戦だった。後には退けない場面で突然、慄え上がった。4年生のキッカーから突然「(お前が)蹴れ」と命じられたのだ。『練習をほとんどやっていないのに・・・』。大観衆の視線が全身に突き刺さる。確実に当てたい気持ちが、体を縛りつけるのを感じた。手痛いミス。その悔しさは今なお生々しく胸をえぐる。
4年時は、人より早くグラウンドに出てキック練習に励んだ。そこには黙ってボールバックしてくれる、ある部員の姿があった。試合に出られず、浅田さんの振り放つトゥキックに自らの4年間を託した同期だった。「あれだけ練習したんだから、エリート軍団(当時の早明同)には負けたくないと思いました。しかしそれに輪をかけて、試合に出られない部員のためにも、私は勝ちたかった」と、相手の胸に打ち込むように言った。

ラグビーマガジン 1983年1月号 〈表紙:(左から)市瀬豊和君、松永敏宏君、浅田武男君〉

息子・侑平君(20歳/慶應高卒)も同軍団の一員だ。キックを使ったプレー、周りの選手をうまく活かすプレー、強い意志に裏打ちされたプレー中の周りへの声掛けの様子が、父の勇姿と綺麗に重なり合う。
「小さい頃からラグビーをやる機会は与えていましたが、強制したことはありません。その分、部活を始めることになった慶應幼稚舎5年の侑平がラグビー部を選び、そのまま中学、高校、大学と各カテゴリーでラグビーを続けてくれたことは素直に嬉しかった。特に大学では(入学前の怪我もあり)内心、やめるんだろうなと思っていましたから」
偉大な親を持つ二世のプレッシャーは計り知れない。しかし男の子にとって最初のヒーローは父親だ。息子は気丈にラグビーに食らいつく。息子に贈る父のエールは明瞭だ。
「黒黄のジャージーを着て秩父宮で暴れ回って欲しいという思いはありますが、現実は厳しい。ただ最後まで諦めることなく、1本目を目指して日々の練習に取り組んで欲しい。大学でラグビーをする学生はたくさんいますが、慶應義塾體育會蹴球部で、ラグビーができる喜びと誇りを持って、少しでもチームの勝利に貢献できるように頑張ってもらいたい」

卒業後、浅田さんは社会人ラグビーではなく一般企業へ就職の道を選んだ。
「エーコンが私のクラブラグビーの出発点です。当時、慶大を卒業した先輩方がプレーしていました。(一般就職を選んだ)早明OBもいて、ちょっとしたドリームチームのようでした。自分もそこでラグビーを続けたいと思い、入れていただきました」
先行メンバーには、同大OB―山下浩、早大OB―寺林努・西尾進・野本直揮・佐々木卓、慶大OB-荒井哲也・石田明文が袖を連ねた。後続には、早大OB-池田尚・鈴木学、慶大OB-林千春・柴田志通、明大OB―芳村正徳など。
その後40歳を迎え、渡部政和氏(慶大OB)の紹介で不惑倶楽部に入部。プライベート時間の大半を愛する競技に注ぐ。今春、赤パンツに昇格した。新人気分を分かち合う、同期の井上宏さん(58歳/日大→伊勢丹)は、「浅田のセンスは秀逸です。厳しい場面でも試合の流れをよく掴み、的確な状況判断をし、ゲームを演出できる。常に余裕を持ってプレーできるところが本当に羨ましい」と表現した。
浅田さんは他チームからも引っ張りだこだ。「助っ人依頼を受けたチームでも楽しくプレーさせていただいています。クラブラグビー界で感じるのは、ラグビーは生涯スポーツであるということ。80歳、90歳になってもグラウンドに立っている先輩を見ると、自分もそこまで続け、グラウンドで死ぬことができたら本望だと思います」と話す。

いまだに現役時代を覚えていてくれる人に出会う。ラグビーをやっている、そのことだけでも十分なのに。

青井博也さん(57歳/慶大・CTB)とは、同じ大学、同じクラブチームでプレーしてきた旧知の仲だ。青井さんにとって、大学時代の浅田さんは「目標のさらに上の存在」だった。センスと精神が群を突き抜けていた。エーコンでは、それまでとは違う距離感の「良き先輩・後輩」の関係に発展。2002年、浅田さんに誘われ、不惑倶楽部に入部した。「その年の三惑対抗RF大会(秩父宮)で、大逆転試合を経験しました。浅田さんとのコンビネーションプレーが『もっとラグビーをやりたい』という気持ちに火を点けたのです。『阿吽の呼吸でプレーできるSOは浅田さんしかいない』と思うほど、気が付けば長いお付き合いになっていました」と、浅田さんに絶対的な信頼を寄せる。
当時の慶大監督、故・上田昭夫氏(元日本代表)から褒められた記憶はほとんどない。しかし英国遠征の全試合に抜擢されて、初めて監督の気持ちを悟った。日本最古豪の慶應でラグビーを始めた浅田さんにとって、日本最古のクラブチームのエーコン、日本最古の惑チームの不惑倶楽部で刻んだ猛きしるしは、誇るべき軌跡だ。「将来の展望は、怪我をしないで生涯現役としてプレーし続けること」と爽快に語った。(写真と文/山形美弥子)

ラグビーマガジン 2021年7月号