【三田評論オンライン】話題の人 KREVA:ラップで日本語の可能性を探究
『イッサイガッサイ』『音色』などのヒット曲を持ち、ヒップホップ界で長く活躍し続けている塾員、KREVA(クレバ)君(環境情報学部2000年卒 48歳)をご存知でしょうか。
このたび三田評論オンラインにKREVAさんの記事が掲載されましたので、ご紹介させていただきます。(引用元: 三田評論オンライン)
【話題の人】
KREVA:ラップで日本語の可能性を探究2024/07/12
インタビュアー川原 繁人(かわはら しげと)
慶應義塾大学言語文化研究所教授
ラップを始めたきっかけ
──KREVAさんは環境情報学部在学中にラッパーとしてデビューされ、25年以上にわたり活動を続けておられます。ラップを始めたきっかけは何だったのでしょうか。
KREVA 中学2年生の頃のダンスブームがきっかけです。ボビー・ブラウンというアーティストの映像を見て、その音楽を「かっこいい」と感じ興味を持ち始めました。最初はダンスから入り、友だちがDJ機材を揃えたのを機にラップを始めました。
──最初から日本語でラップをしていたのでしょうか。
KREVA そうですね。自分たちがラップを始めた時には、ライムスターなど日本語ラップの先輩格のグループがすでにレコードをリリースしていました。
──私は言語学的な側面からラップの韻を分析している関係で、以前ライムスターのMummy-Dさんと対談したのですが、その際に日本語ラップを世代分けしてみました。いとうせいこうさんらが第1世代、ライムスターたちを第2世代とすると、KREVAさんらは第3世代となりますね。
KREVA そうなりますね。ライムスターのメンバーは皆早稲田出身で、彼らと最初に会ったのは慶應に在学していた頃です。在学中に「バイ・ファー・ザ・ドーペスト」というグループを結成し、1997年にレコードデビューしました。その頃から即興(フリースタイル)でラップをするようになり、当時、仲間内ではフリースタイルが上手いヤツとして評判になっていたようです。
──フリースタイルの名手としてKREVAさんの名が広まったのは、1997年に始まったヒップホップの祭典「B -BOY PARK」ですね。ラッパー同士がフリースタイルを競い合うMCバトルの初代チャンピオンとなり、その後3連覇を果たしたことは語り草になっています。
KREVA B-BOY PARKで最初のMCバトルが開催されたのが2年後の1999年でした。それまではまだヒップホップ・カルチャーの中でレコード会社と契約することがめずらしく、ラッパーとして頭角を現すにはフリースタイルで存在感を示すのが有効でした。そこでクラブのイベントに出かけては、飛び入りでパフォーマンスできる時間帯にマイクを握っていました。
──いわゆる「オープンマイク」と呼ばれる時間帯ですね。
KREVA そうです。イベントでは必ずオープンマイクの時間があって、「ラッパーだったらパフォーマンスしないと負け」みたいな熱気がありました。そういう場所でラップの腕を鍛えていたのです。1999年にフリースタイルの大会があると聞いた時にはやっと大きな舞台でパフォーマンスができると思いました。
言葉の引出しを半開きにしておく
──ラップには「韻を踏む」上手さを競う側面があります。KREVAさんのラップは韻がわかりやすく、かつ言葉選びとしても意外性があって面白い。こうしたスタイルはどのように作り上げていったのでしょう。
KREVA わかりやすく韻を踏むだけでなく、言葉の並び替えなどで歌詞を展開する面白さも追究しています。例えば、「クレバ」を「バレク」にひっくり返して新しい言葉をつくり出し、そこから別の韻を踏むといったように。こういう言葉の実験を、夜な夜なクラブでの“草バトル”で試していました。
──あらかじめ用意したリリック(歌詞)を使うのではなく、即興で韻を踏む技術は簡単ではないと思います。KREVAさんは、前もって歌詞に織り込めないような対戦相手の服装などの情報を瞬時にラップに採り入れ、即興だと暗示しています。こういうアイデアも面白いですね。
KREVA 相手の容姿のようなその場の状況を即興で採り入れたのは、対戦相手が事前に書いた歌詞カードを持ち込んだことからです。それをルール違反だと言うよりも、即興だとわかるパフォーマンスで負かしたほうが会場も盛り上がるだろうと思ったのです。
──勝負のためというよりも、見せる(魅せる)ためのパフォーマンスだったのですね。
KREVA そうです。フリースタイルの大会でも、エンターテインメントとして盛り上げるために全身迷彩服で出演したりしてました。闘うことよりも楽しむことが第一にありました。
──フリースタイルの歌詞は一度紙に書き出したものを頭に入れてラップするのでしょうか。それとも完全に頭の中で組み立てるのですか?
KREVA フリースタイルは本当に即興です。頭の中で瞬時に韻を組み立て、リズムに乗せて出す感じ。『千と千尋の神隠し』の中で、長い腕を何本も持った「釜爺」というキャラクターがたくさんの引出しから薬草を取り出すシーンがありますよね。あんな具合に言葉の引出しをすべて半開きにしておくトレーニングをするのです。
言葉にたくさん触れ、言葉の引出しの位置を何となく把握しておくと、数珠つなぎに引出しが開くようになります。そういうスキルはある程度トレーニングで身に付きます。
──KREVAさんのラップには天才肌だと思わせるところがありますが、トレーニングの賜物なのですね。
KREVA 「天才には2つのタイプがある」とよく言われますよね。本当の天才と、努力を努力と思わないタイプの天才。天才かどうかはさておき自分は後者です。ラップの練習を努力とは思ったことはないです。湘南藤沢キャンパス(SFC)時代、通学に片道2時間半かけていたのですが、電車の中でも中吊り広告を見ながら韻を踏む練習をしたりしていました。
大学受験でも、すんなり慶應に入れる人もいれば、徹底的に勉強する人もいますよね。自分の場合は随分勉強しましたが、それは苦ではなかったんです。やりたいことや目標に至るまでのステップをつらいと感じない天才的鈍感タイプなのかもしれません。
同級生を見返そうとSFCを志願
──慶應を選んだのはどのような理由だったのでしょう。
KREVA 高校2年生の時、同級生に「まだ受験勉強始めてないの? そのレベルで大学行けるわけないじゃん」と言われたんです。それでムッとして大学ランキングを調べると難関1、2位に慶應の総合政策学部と環境情報学部がありました。「よし、ここに合格して見返してやろう」と猛勉強したんです。
結果、環境情報学部に合格し、彼のほうは早稲田に受かって握手して別れました(笑)。SFCのAO入試制度を知ったのは随分後のことです。それを知っていたらラップのフリースタイルで出願していたかもしれません。
──SFCではどのようなことを学んでいたのでしょう。
KREVA 卒業後に音楽をやろうと最初から決めていたので、大学には1年生から一生懸命通っていました。当時は佐藤雅彦先生がSFCで教えておられ、その講義がとにかく面白かったです。例えば、佐藤先生がCMを手がけた〈ポリンキー〉。このキャラクターができるまでという内容で、60体くらいの候補から3体に選ばれるまでの過程を聞かせてもらったのは強く印象に残っています。
一番覚えているのは、レポートをハガキ1枚で提出する課題です。たくさん調べてたくさん書くのではなく、それをハガキ1枚で表現しなさい、と。見出しの付け方や要約の仕方など、ただのレポート課題とは違い、とても刺激的でした。
この頃のSFCにはセルジオ越後さんも体育の先生として来られていました。毒舌のサッカー解説は評判が良くなかったのですが、一緒にサッカーをやったらめちゃくちゃ上手かった。圧倒的なスキルでねじ伏せられ、毒舌もダテじゃないと知りました(笑)。
──大学っぽくない授業ばかりですね(笑)。
KREVA 同級生も少数精鋭という感じでした。塾高出身者が比較的多く、皆面白いことをやろうという気風がありました。大学に通いながら高校から始めたラップも続け、2年生の時に最初のレコードをリリースしました。
──デビューされて間もなく、今度は3人のラッパーで結成したキック・ザ・カン・クルーでも活動を始められ、やがて紅白歌合戦に出場するなど、知名度は全国区となります。このグループはどのように結成されたのでしょう。
KREVA 過去に発表した音源を聴いた人からレコーディングに誘ってもらったのです。当時、ラップのイベントに一緒に出ていたメンバーに声をかけ、「カンケリ」をテーマに曲をつくろう、と呼びかけました。そこから周囲に「カンケリの人たち」と呼ばれるようになったことが「キック・ザ・カン・クルー(以下、キック)」というグループ名の由来です。
──言語学的な視点からもお聞きしたいと思います。90年代のラップは単語単位で韻を踏むのが標準的だった中、キックはより長いフレーズで韻を踏んでいてとてもオリジナリティがありました。
KREVA そうですね。とくにキックのメンバーのLITTLEは同音異義的に、母音に分解した時の律をきれいに揃えてラップをします。それに対して自分は「ねじ伏せ」と呼んでいますが、例えば、英語と日本語の組み合わせのように、聴こえ方が似ている言葉を見つけてラップの力で同じ韻に聴かせることにトライしていました。
──私はキックの代表曲「イツナロウバ」を初めて聴いた時にすごく衝撃を受けました。歌詞の中で「イツナロウバ」と「(次の季節が)見つかろうが」で韻を踏んでいます。これこそ英語と日本語の組み合わせですね。
KREVA そうですね。「イツナロウバ」は夏がテーマの曲で、タイトルの語源は「夏は終わらない」という意味を込めた「It’s not over」です。この発音を、いわば「掘った芋いじるな(What time is it now)」的に英語っぽいカナ表記にしています。おそらく「イッツノットオーバー」と言うよりも「イツナロウバ」のほうがネイティブに通じやすい。こうした揺らぎが日本語として面白いと思い曲名にしました。
授業型エンターテインメントとは
──今年4月と5月に「授業型エンターテインメント」と銘打ち、「KREVA CLASS【新しいラップの教室】」を開催されました。「授業型」とは具体的にどういうものなのでしょう。
KREVA 「KREVA CLASS」は脚本・演出を小林賢太郎さんが手がけており、基本的には全編コントです。教師役のKREVAが舞台上でラップのライミング(押韻)やターンテーブル(レコードプレイヤー)の歴史について授業をする。こうした劇が1つの学校として成り立つようなステージです。
賢太郎さんにはこれまでキックのCM演出を依頼したり、逆にNHKの番組「小林賢太郎テレビ」でコントに出演させてもらったりしていました。実は賢太郎さんが演出を手がける舞台にはこれまでほぼすべて足を運んでいます。それほど尊敬する賢太郎さんと一緒に舞台を作ってみたいという気持ちが高まり、それが今年ついに実現しま した。
──KREVAさんはラップやDJのパフォーマンスだけでなく作曲にも携わり、俳優としても活動する「何でもできる人」の印象です。なぜコントだったのでしょう。
KREVA ラッパーとしてライブハウスやホールでライブをするだけでなく、自分が立てるステージの幅を拡げたいと思ったからです。「KREVA CLASS」は4月に神奈川芸術劇場で公演を行いましたが、ラッパーのイベントに使うには珍しい会場です。ですが、賢太郎さんとなら芸術劇場でも可能なパフォーマンスの形があるはずだと思えたこと、自分自身の中に日本語を楽しむことをアーティストとして追究したい気持ちがありました。
──ラップの授業というと、2008年の曲「あかさたなはまやらわをん」が思い出されます。「韻を踏むとはこういうこと」というのをまるで幼稚園児にも伝わるようにわかりやすく歌った曲でした。
KREVA そうですね。そういうわかりやすい曲を作りたい時期が定期的に訪れます。でも、実はみんなにとってわかりやすいものをかっこよくやるのはすごく難しい。
──「みんな」と言う時にどういう相手を思い浮かべますか。
KREVA ラップに全然興味のない人たちです。これまでにいろいろなステージに立たせてもらう中で、「KREVAって誰?」と思われることもありました。そのたびに、ラップを知らない人たちにも届くような言葉選びや発声を心がけてきました。
「KREVA CLASS」でも、ラップのフロウ(歌い回し)や強弱の付け方など、しゃべり方の癖を賢太郎さんからすごく指摘されました。「……だよね」と言う時には、劇場の一番後ろの席の人にもわかるように、語尾の「ね」の口の形を残すようにする、など。舞台演出のプロならではの細かい指導を受け、とても勉強になりました。
賢太郎さんも同音異義の感じで韻を踏むのが上手い人で、「KREVA CLASS」の台詞もほぼすべて賢太郎さんが書いています。台本の中にも韻を踏んだ台詞が多く登場します。賢太郎さんとは日本語の使い方を探究しているところに共通点を感じますが、自分にはないものを持っているとも感じます。
コント的なものはこれまでライブでも取り入れてきましたが、今回は間の取り方や言葉の発し方など、それを生業にしているプロの人に教えてもらったことで全然違うものになりました。こうしたやりとりの結果、ラッパーがお笑いをやってみたという水準よりもはるかにレベルの高い本気の舞台をつくることができたと思っています。
やらなかった気持ちを残さない
──慶應には言葉への関心が強い学生やエンタメ業界に進みたい学生も多くいます。何かメッセージをいただけますか。
KREVA 学生のうちは論文を書いたりリサーチをしたりといったことが、自分のやりたいことと関係がないように思えるかもしれません。でも、「やろうと思えばできること」はできるだけやったほうがいいと思います。こうしたことが将来どうつながっていくかは本当にわからないからです。
というのも、学生時代にコンピューターを使ってチームで映像と音楽をつくるという課題が与えられた時、せっかく仲間が誘ってくれたのに、音楽活動が忙しいのを言い訳にして真剣にやらなかったんです。そのことを今でも少し後悔しています。もう少し積極的に大学に関わる気持ちがあれば、今より良い位置にいられたかもしれないという思いがある。
それは、自分の将来に役立つかどうかとは関係がないかもしれませんが、大事なのはやれたのにやらなかったという気持ちを残さないことです。
──KREVAさんはラッパーの中ではすでにベテラン世代だと思います。今後アーティストとしてさらに成熟するためにどのようなイメージを描いておられますか。
KREVA ラップがもっと上手くなりたいという意識は今も昔もそれほど強くはないんです。やりたいからやり続け、その結果上達しているという感じです。
その一方で、2022年にはKing & Prince の「ichiban」という曲をプロデュースしました。この時、最初に提出した曲が「もっとKREVAさんらしいものを……」と差し戻されたんです。そこでわかったのは、おそらく他人のプロデュースよりも自分自身のプロデュースのほうが長けているということ。自分が舞台に立ちたい気持ちが今も常にあるので、そう思うかぎりはプレイヤーとして続けていくのでしょうね。
──これからのご活躍も楽しみにしています。有り難うございました。
(2024年5月9日、三田キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
KREVA(クレバ)
ラッパー、アーティスト
塾員(2000環)。1997年のデビュー以来、日本のヒップホップを牽引。6月18日ソロデビュー20周年を迎え様々なアクションが予定されている。