(再掲)【慶應義塾のトリセツ】早慶戦
週末の試合に向けて本日は、「慶應義塾のトリセツ」より、我々にとって永遠のライバルである早稲田大学との「絶対に負けられない」対校戦、『早慶戦』についてご紹介させていただきます。(引用元: 福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館サイト)
慶應義塾のトリセツ(β版)「早慶戦編」
このコーナーは、早慶戦観戦にあたって、知っているとさらに面白くなる知識を、新入生や留学生にもわかりやすく解説することを目指して作られました。基本情報だけでなく、相当マニアックな情報も上級編として用意していきます。少しずつバージョンアップされていく予定です。
東京六大学野球の基礎知識
- 明治、早稲田、慶應、立教、法政、東大の6校が総当たり戦で闘います。
- 年2回春秋に行われ、原則として土日に試合があります。
- 同一の対戦相手と連続して試合を行い、2勝したチームが「勝ち点」を獲得します。土日で決着がつかない場合や雨天延期となった場合は、月曜日以降に持ち越されます。
- 最終的に勝ち点を多く取ったチームが優勝となります。勝ち点が並んでいる場合は勝率で優勝を決めます。
- 優勝校には、天皇杯が授与されます。天皇杯は日本のスポーツ界で原則として一競技に1つしかなく、野球の場合、歴史的経緯から東京六大学野球の勝者に授与されます。
- 会場は神宮球場を使用します。神宮球場は1926年学生野球のために作られました。
《上級編》
- 開幕カードは、前大会優勝校と最下位校の対戦です。
- 木曜日・金曜日は東都大学野球リーグの優先日であるため、東京六大学野球の試合はできません。
- コールドゲームは無く、延長回数はその日の試合数やプロ併用の有無で決まります。
- 春に優勝すると全日本選手権、秋に優勝すると明治神宮大会への出場権を、東京六大学代表として獲得します。
早慶戦の基礎知識
- 慶應義塾大学と早稲田大学との試合を「早慶戦」と呼びます。この言葉は現代の日本語で、ある分野の最有力の2者が争うことを指す一般名詞として使われることもあります。
- 慶應側からは「慶早戦」と呼ぶこともありますが、あえてそのように呼ぶことを嫌って早慶戦と呼ぶ慶應関係者も多くいます。(参考:「慶應❝塾❞語事典:早慶戦/慶早戦 そうけいせん/けいそうせん」/三田評論オンライン)
- この試合は、両校にとってはライバル同士の特別な意味を持ち、六大学リーグでの優勝争いとは別に、絶対負けられないと考えられている試合です。
- プロ野球同様、先攻は三塁側、後攻は一塁側を使用しますが、早慶戦だけは早稲田が一塁側、慶應が三塁側と固定されています。これは1933年の「リンゴ事件」と呼ばれる大乱闘事件の影響とされています。(参考:【慶應野球と近代日本】「水原リンゴ事件」(池井 優))
《上級編》
- 六大学野球の原点が早慶戦である歴史的経緯から、最終カードには必ず早慶戦が行われます。
- 慶應義塾大学では、早慶戦開催日の授業が1限のみとなり、観戦が奨励されています。この制度はコロナで休止されていましたが、2023年春から復活しました。
応援団の基礎知識
- 学生応援席は、学生証提示の上500円で入場できます。
- 応援席では、伝統的な学生服を着た応援団による応援の指揮が行われ、応援席が一体となって野球部を応援します。これが神宮球場での六大学野球観戦の醍醐味です。
- 他大学は応援の指揮を執る学生団体を「応援団」(明治・法政・立教)、または「応援部」(早稲田・東大)と呼びます。
- 慶應は、「応援指導部」が正式名称です。これは応援席の全員が応援団であり、その指導をする、という考え方を表しています。
- 指揮を執る学生の学生服の形や着方にはそれぞれの大学によって伝統があります。
- 慶應では学生服に細工をせずに普通通りスマートに着こなすことを伝統としています。
- 他大学の男子の学生服は、ズボンを太くしているもの(ボンタン、ドカン)や、上着を短くしているもの(タンラン)が見られます。また下駄や袴をはくこともあります。こういった通常の着こなしとは違う奇妙な服装や粗野な振る舞いは日本の応援団の伝統とされ、「バンカラ」と呼ばれます。
- 応援団は長く女人禁制とされていました。これを破ったのは慶應で、1960年の早慶六連戦と呼ばれる伝説の試合中に、バトントワリングができる慶應女子高生高山藍子さんを登場させたのが最初です。
- 応援団の旗手は各校伝統の帽子をかぶっています。
- 他大学の帽子は角帽をアレンジしたものなので、どれも上から見ると四角く、早稲田大学が最も正方形に近い形を残しています。
- 慶應の帽子は、他校と異なり丸い帽子です。丸帽は一般的には高校生以下がかぶっていたもので、大学生は角帽がステータスでした。しかし慶應では、角帽を形式的、権威的として嫌い、角帽が定着しませんでした。
《上級編》
- 慶應で、1950年にスクールカラーのブルーレッドブルーのストライプ入りの白いセーターを着た応援を導入したところ、当時は他大学から神聖な応援を汚すとして物議を醸しました。このセーターは今も着用され、応援の中で見ることができます。
- ベンチ入りしている野球部マネージャーも学生服を着用しています(明治・法政・立教はブレザー)。早稲田大学のマネージャーはベンチでも角帽をかぶります。
- 早稲田の帽子は特に四角いので「座布団帽」、慶應の帽子は丸くフワフワしているので「アンパン帽」とライバル同士で茶化していました。
応援の基本
- 対戦する両校が双方の健闘をたたえ合うエール交換は、試合前・7回・試合後の計3回行われます。
- エール中は、観客も含め起立、脱帽、静粛がマナーです。
- 相手校から「フレフレ慶應」のエールを受けた際は、拍手で応えます。
- 慶應は試合前と試合後のエールで、塾歌を斉唱し、塾旗を掲揚します。また、「フレフレ慶應」と「フレフレ○○(相手校)」のエールが行われます。
- 7回の攻撃時に、慶應は応援歌「若き血」を斉唱します。この時は、通常と異なるゆったりしたテンポのエール用の演奏で、右手を振り下ろす動作を繰り返しながら歌います。歌い始める際、エール指揮者は「元気よく、右手を高く若き血」と発声しています。
- エールの指揮を執る学生は、曲中「そら」「ハイ」などの掛け声を発声しています。
《上級編》
- 慶應と東大以外の4校は、7回も試合前・試合後と同様に校歌を斉唱します。東大は校歌がないため、試合前・試合後は応援歌「ただ一つ」、7回は運動会歌「大空と」を斉唱します。
- もともと塾歌は、早慶戦のエール交換以外では使用しない特別な歌であり、代わりに他の4大学に対しては「若き血」でエール交換を行なっていましたが、4大学の批判もあり1956年に今の形になりました。
- 試合前エールは、先攻が先に行い、試合後エールは、勝利校が先に行います。引き分けの場合は同時エールとなり、両校の校歌が同時に演奏されます。
- 戦前、試合終了直後に大乱闘が起こったことがあったため、興奮を抑制するためにエールが行われるようになったともいわれます。そのため試合終了後、一喜一憂する間も無く、間髪入れずにエール交換が開始されます。
- 慶應ではかつて英国式の万歳「Hip Hip Hooray」が行われました。戦時下では英語使用が批判されたため、「蹶起蹶起奮え」という字を当てていました。
塾旗について
- 試合前・試合後のエールの際に、両校の旗が掲げられます。
- 旗は神聖なものとして扱われます。巨大な旗を扱う旗手の身のこなしは、見所の一つです。
- 塾旗には、数年に一度しか掲揚できる旗手が現れない大きく重いものから、誰でも軽々掲揚することのできる小さいものまで多くの種類があり、それぞれ名前がついています。
- 格式や各旗を紹介する際の形容の言葉である「口上」もそれぞれ決まっています。
- 「金ペン塾旗」は、文字通りペンマークが金色であり、「優勝のかかった」「早慶戦」でしか掲揚されない特別な塾旗です。
- エール中、エールの指揮をしている壇上の学生が、相手校に向かって礼をするタイミングが3回あり、それに合わせて旗も礼(低く下げて掲げる)をします。これを旗礼(きれい)といいます。重さに耐える苦しい体勢を取るため、旗手の日頃の練習が試される場面の一つです。
《上級編》
- 旗手のベルトは背中側で肩紐が交差しており、これは慶應のペンマークの交差と同じ重なり方になっています。
- 開会式・閉会式の国家斉唱の時間は、旗礼が行われ、これはテコの原理により最も辛い体勢が長時間続くため、旗手には最も負担が大きい時間です。
画像協力:慶應義塾体育会野球部