「和田塾」慶應義塾 幼稚舎の始まり
創立150年を迎えた幼稚舎の歴史について、『塾』 SPRING 2024(No.322)の「ステンドグラス」に掲載された記事をご紹介させていただきます。(引用元: 慶應義塾公式サイト )
義塾一貫教育の原点「幼稚舎150年」
2024/09/26
1858(安政5)年、福澤諭吉が築地鉄砲洲に「福澤塾」を開いてから16年後、福澤の高弟である和田義郎が三田の慶應義塾構内で幼年の塾生のための「和田塾」を始めた。これが慶應義塾幼稚舎の始まりであり、今年はちょうど創立150周年の節目となる。そこで今回は、幼稚舎誕生の経緯と長い歴史の中で育まれた幼稚舎ならではの教育の特色を概観。あらためて一貫教育の原点を確認しつつ、その現在と未来について展望する。
幼稚舎の前身である三田山上の「和田塾」
三田メディアセンター提供日本最古の私立小学校の一つ「慶應義塾幼稚舎」
福澤諭吉が築地鉄砲洲に開いた「福澤塾」は、1868(慶応4)年、芝新銭座移転後に「慶應義塾」と名を変え、明治維新を経て現在の三田キャンパスの地で近代の教育機関として新たなスタートを切った。
その間、福澤の名声が高まるにつれ「ぜひ福澤先生に子どもを預けたい」という要望が多く寄せられるようになった。その中にはかなり年少の者もいたため、一般の塾生と同じ教室で教えることには限界があった。そこでまず12歳から16歳の塾生を対象とした寄宿舎「童子局」が作られた。福澤はさらに年少の塾生の教育を、かつて慶應義塾で学んだ紀伊和歌山出身の柔術の達人で英語教師だった和田義郎に託した。1874(明治7)年より三田構内にある和田の自宅を通称「和田塾」として子どもたち数名を寄宿させ、夫人である喜佐や妹の秀と共に教育をおこなった。この「和田塾」が現在の幼稚舎の始まりで、その後「幼年局」などの名を経て、「幼稚舎」という名称となったのは1880(明治13)年頃だった。この幼稚舎は日本で最も古い私立小学校の一つである。
明治8、9年頃 慶應義塾三田構内図。 右下、門の付近に「和田」の表示が見える
三田メディアセンター提供福澤の教育観を映した草創期の幼稚舎の教育
「和田塾」から現在に至るまでの幼稚舎の教育は、一貫して福澤諭吉の教育観に基づくものである。福澤は「教育の力は唯人の天賦を発達せしむるのみ」、すなわち一人一人の生まれつきの才能を伸ばすことが教育の目的と考えていた。教員と塾生が苦楽を共にしてお互いに学び合う「半学半教」の精神もそこから生まれたものだ。もう一つ福澤が初等教育で重視していた考えは「まず獣身を成してのちに人心を養ふ」だった。つまり、幼少期にまずは丈夫な体をつくり、それから精神、知育へと徐々に移行していくことが良いと説いた。柔術の達人で、温和な人柄と伝えられる和田はそうした福澤の初等教育観に最適な人材だったと思われる。草創期の幼稚舎では、時には子どもたちに技をかけられながら、和田自身が柔術を指導していた。
大正半ば頃から幼稚舎では体育の授業以外に、林間学校、海浜学校、海上旅行など、自然環境の中で心身を養い、鍛える校外学習が加わった。いずれも10日ほどの日程で、現地の地理や歴史などの学習も行っていた。現在の幼稚舎でも年間を通じて、多彩なスポーツ行事、遠足・宿泊行事が予定されており、心身ともに健康な子どもたちを育てる伝統は今でも変わらずに続いている。
大正10年日光での夏季林間学校の様子
『慶應義塾幼稚舎百二十年のあゆみ 解説本』より転載一貫教育の完成とともにさらに進化した幼稚舎教育
1898(明治31)年に慶應義塾の学制が「幼稚舎・普通学科・大学科」と改められ、ついに一貫教育が完成。最初の6年間を受け持つ幼稚舎は、「6年間担任持ち上がり制」と「教科別専科制」が教育の特色である。現在の幼稚舎ではクラス担任が国語、社会、算数、総合(生活)などの教科を教え、理科や芸術系の教科、英語、情報などはそれぞれの専科教員が指導している。担任持ち上がり制に関しては以前より賛否両論あったが、一人の担任教員が子どもの成長を長い目で見守りつつ、複数の専科教員がいろいろな角度から子どもたちの学びを支えている。
近年は国際教育の充実も幼稚舎教育の特色となっている。英国のドラゴンスクールとは1995年から交流が始まった。その他、英国でのサマースクールや慶應義塾ニューヨーク学院の寮を利用した米国での国際交流プログラムなども実施し、多くの子どもたちが語学だけでなく異文化を学んでいる。
「幼稚舎150年」で考える慶應義塾一貫教育の未来
慶應義塾幼稚舎150周年記念ロゴ
幼稚舎提供幼稚舎は現在の慶應義塾一貫教育校の中で最古の歴史を有している。今年はその前身である「和田塾」開設から150年となる節目の年であることを踏まえて、クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏が「幼稚舎150周年」記念ロゴのデザインをした。佐藤氏によると「教職員、卒業生、在校生など幼稚舎に関わってこられたすべての方々が、違いを認め合いながら共生して輝いている」幼稚舎150年の歴史を象徴するビジュアルだという。
明治維新の激動期を駆け抜けた福澤諭吉の初等教育に対する思いを現在も色濃く受け継ぐ幼稚舎。時代が大きく動いている21世紀の今、あらためてその原点と150年の歩みを振り返ることは、幼稚舎から大学・大学院に至るまでの慶應義塾一貫教育の「これから」を考える契機となるだろう。
この記事は、『塾』 SPRING 2024(No.322)の「ステンドグラス」に掲載したものです。
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