【體育會蹴球部】125代主将・中山大暉君 リーグワンの誘いを断り新たな道へ

慶應義塾大学體育會蹴球部で125代主将を務めた中山大暉君(HO/環境情報学部)は今春卒業し、(社会人ラグビーではなく)一般就職への進路を選択しました。

ポジションのHO(フッカー)は、スクラムの最前列中央で仲間を束ね、ラインアウトでは捕球役へのスローイングを担う専門職。身長176センチ、体重105キロの国内屈指のHOと謳われた中山君は、国内リーグワンの関係者から注目の的でした。

しかし、就職活動で第一志望の総合商社から内定をもらい、その道へ進むことに。

2024年9月、ラグビーリパブリックの取材に対してこのように答えています。
「6、7月に決めた。(自身をスカウトしたリーグワンの採用担当者には)商社に行くか迷っていますとお話ししている中でもお声掛けいただいた。そのおかげで、今年(学生最後の年)ラグビーをするモチベーションが上がりました。プロのリクルーターの方に見ていただいているのだから、もっと頑張らなきゃいけないと思えました」

(以下引用元:https://4years.asahi.com/article/15715695

慶應義塾大学・中山大暉 リーグワンの誘い断り、新たな道へ「今は自分の決めた道を」

大学屈指のフッカーとして知られた中山(慶應大蹴球部提供)

昨シーズン、慶應義塾大学蹴球部(ラグビー部)の125代主将を務めたフッカーの中山大暉はこの春、総合商社に入社した。在学中、複数のリーグワンチームから勧誘を受けていたが、悩んだ末に断っている。ラグビーを続けるか、今までと違う道を歩むか。人生の決断を、彼はどのように下したのだろうか。

高校で2度の全国制覇、大学でも1年から公式戦出場

中山は小学生の時、知り合いを通じてラグビーに出会った。スクール体験で、人とぶつかることができる爽快さのとりこになった。神奈川・桐蔭学園高校では2度の全国制覇を経験。慶應でも1年からAチームで公式戦に出場してきた。

「自分で望んでラグビーを始めて、14年間楽しく続けてきた。大好きなことを仕事にできるなら、それは一番幸せなことじゃないか、と思っていました」

トップの舞台でプレーできるのは大学の選手の中でも一握りしかいない。あるリクルーターからは「うちで日本代表を目指さないか」と声をかけてもらった。選手なら誰もが目指す「夢」に近づける素質があると認めてもらえたことは、素直にうれしかった。

桐蔭の同期には、青木恵斗(帝京大学→トヨタヴェルブリッツ)、佐藤健次(早稲田大学→埼玉パナソニックワイルドナイツ)という、すでに日本代表の合宿に呼ばれていたホープがいる。

高校時代、第100回全国高校ラグビー大会でトライする中山(撮影・金居達朗)

2人には、大学4年間で差を広げられた感覚があった。

でも、中山はあるリーグワンのチームの練習に1週間参加して、「この環境でやればもっとうまくなれる」と自分の伸び代に気付くことができた。

下のチームからコツコツと練習を重ねてレギュラーをつかんだ高校時代と同じように、社会人で地道に実績を積み、いずれ彼らに追いつく。そんなイメージもできていた。

しかし、中山は競技の第一線から退くことにした。

4年間で育んだ周囲を巻き込む力、生かす場に魅力

桐蔭の先輩で、慶應の主将を務めた二つ上の今野勇久さん、一つ上の岡広将さんにキャプテンのあり方を相談していると、自然と会社の話になった。2人はともに大学でラグビーをやめて、商社に進んでいる。

2人やほかにも商社で働いている人たちに聞く仕事は、中山にとって魅力的だった。

英語が得意ではない自分でも、やる気さえあれば、海外に出られるチャンスが格段に多いこと。特定の商材を持たない代わりに、幅広い知識や会話で人や企業をつなげていけること。もちろん、具体的な中身までは分からなかったけれど、そんな商社の面白さにひかれるようになっていた。

中山は下級生の時、蹴球部のグッズの企画に関わり、商品を作っていく楽しさを知っていた。4年で初めて主将という立場を経験して、学生たちのみならず、様々な年配の大人たちと話し、関わり、彼らを巻き込みながら部を運営していくことが思いのほか、性に合っていたことにも気付いていた。

商社という世界なら、この4年間で育んできた個性が生きるのではないか、という思いが芽生えていた。

昨年度の早稲田大戦では、前試合での脳振盪の影響で出場できず。給水係を務めた(慶應大蹴球部提供)

引き出しをたくさん持つ「余裕のある大人」になるために

「ラグビーだけの人間」にもなりたくなかった。身近に多くのロールモデルがいた。1人がOB会(黒黄会)理事長で、経営者でもある市瀬豊和さん。コーチが不在になったり、けが人が増えたりして、リーダーシップの取り方に悩んでいた時、「ないから無理、と嘆いても仕方がないよ」と助言をくれた。

グラウンドの中だけにとらわれず、一般社会に当てはめるとどうなるか、組織論でも考えてみるようになった。今ある問題に神経質になりすぎず、伸ばすべき長所に目を向けるようになると、自分も少し楽になったし、チームメートとの会話も自然と増えていった。幅広く視点を持つ大切さを教わった気がした。

「将来、余裕のある大人になりたいんです。市瀬さんたちのように、引き出しの中に様々な選択肢があって、色々な答えを提示できる人って素敵だと思うので」

中山が尊敬する選手は、日本代表のフッカー原田衛(東芝ブレイブルーパス東京)だ。桐蔭―慶應と同じ道を歩み、中山が1年生の時、4年生のキャプテンだった。自分に厳しく、己に課したタスクは何があってもやり続ける三つ上の先輩の姿を目標にしつつ、「衛さんみたいにストイックにはなれない」とも感じていた。

原田に中山について聞くと、「大暉にはすごく素質がある。僕なんかよりずっといい選手になれる素質が。リーグワンで続けないのは残念だけど、それも大暉の選択だから。これからもあいつを応援します」と言っていた。

広い視野でリーダーシップを発揮した(慶應大蹴球部提供)

ラグビーに出会えたからこその成長、自らの手で証明

「ラグビーをやってきたから色々な人と出会えて、成長できた。ラグビーが大好きで、それを続けていける環境もあった。本当にやめていいのか。それが一番迷ったけれど、今は自分の決めた道を頑張りたい」と中山。

どの道が正しいかなんて誰にも分からない。でも、選択を正解にするために、中山は新たな挑戦に突き進んでいく。

ラグビーをやりきり、新たな挑戦へ突き進む(慶應大蹴球部提供)