【時は過ぎゆく】ラグビー早慶戦の思い出とその歴史──100回記念試合を経て、魂のラグビー誕生を回想する
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本日は、『三田評論』に掲載された慶應義塾體育會蹴球部黒黄会 川上 純一会長の最新記事をご紹介させていただきます。(引用元: 三田評論ON LINE)
【時は過ぎゆく】ラグビー早慶戦の思い出とその歴史──100回記念試合を経て、魂のラグビー誕生を回想する
2024/02/19
昨11月23日の早慶戦100回記念試合を経て、今年蹴球部は創部125年を迎えました。小生現役時代の昭和に時を戻し、時の監督を軸に早慶戦前夜や裏舞台を振り返ります。「早稲田だと思って全部食ってしまえ」
名物監督「ごんろく」こと柴田孝監督(昭和31年卒・元全日本選手)が冷めた夕食を睨んで仁王立ちのまま檄を飛ばしました。猛練習後の重い身体を引きずったFWの選手達がかなり遅い時間に合宿所食堂にやっと上がったのは昭和52年小生3年生の秋の晩でした。
オフザフィールドでも監督は部員に問います。「君は何のために慶應でラグビーをやっているのか」。「早稲田を倒すためです」と正解を言うまで監督の禅問答が続きました。
当時の部員は約60名、ほとんど花園経験者はおらず、大学からラグビーを始める部員も含め経験・体格・体力・技術の劣る塾は、猛練習で早明に伍するレベルに仕立て上げ、精神力で上回るとの「信念」が、ルーツ校のプライドとして指導陣・OBに貫かれていました。
信念の権化の鬼コーチにFWが徹底的に鍛え上げられました。小生1年生では早慶戦時バックメインスタンド側のボールボーイ、2年生からリザーブ選手となり先輩正選手らとFWメンバーとして指導の洗礼を浴びました。秋の冷気、暗闇の土グラウンドで延々と組む移動スクラムから湯気が立ち、涙しながら見守る熱血監督、異様な光景でした。地獄の山中湖夏合宿を経てもなお調整無縁の猛練習が晩秋まで続きました。
「獣身を成して後に人心を養う」の蹴球部版はこれかと気づき膝を打ったのはずっと後のことでした。監督の「早稲田を食う」目論見は着々と積み上がってきました。合宿所に掲げられた墨痕鮮やかな「打倒早稲田」のたった5文字が幾多の言葉よりも何故か染み込みやすく、昭和の指導者の見え透いた見える化・ビジュアル化にまんまと嵌っていきました。
満を持して迎えた昭和52年11月23日秩父宮ラグビー場、関東大学ラグビー対抗戦兼第54回早慶ラグビー定期戦、小粒ながら鍛え上げられた黒黄ジャージの鋼のFWが早く低い集散で躍動し、スクラムでは赤黒ジャージの塊を押しこみ、BKSは突き刺さるタックルを繰り返し、34対17のダブルスコア。文句のない15年振りの勝利かつ早稲田の対抗戦60連勝を阻む快挙となりました。ノーサイドの笛と共にグラウンドになだれ込む学生服姿の蹴球部員、誰彼となく抱きあい感涙にむせびました。こんな姿は記憶の中で後にも先にも塾蹴球部で見たことはありません。
歓喜の渦の慶應スタンドの中、熱血監督はすかさず「早稲田チームに失礼だ、早く上がれ」とグラウンドの主将に一喝、我に返った部員たちはグラウンドを後にしました。「この監督の快勝にもおぼれない潔癖な態度は見る者に妙にすがすがしかった」と早稲田側機関紙に評が掲載されました。監督談話。「今日は幸運に恵まれて勝つことが出来ました。早稲田は非常にいいチームでした。学生諸君の1ページに、やれば出来るんだということを書き加えられ、嬉しく思います。今日の勝利はチームワークと、下積みの部員の力によるものです。早稲田、明治というカラーの違ったチームと、それなりに悔いのないゲームが出来て私達は幸せです。正月もう一度早稲田、明治と対戦したいと思います」。
そこから年末年始、大学日本一を目指す快進撃が続きます。交流試合で法政を下し、大学選手権へ駒を進め、1回戦同志社を退け、準決勝では日体大に逆転で勝利し決勝に勝ち上がりました。前日の雪が残る正月明けの決勝戦、対明治の試合は6対7の惜敗で結局優勝を逃しました。敗戦後の監督談話。「パワーの明治、ワザの早稲田がそれぞれの持ち味とすれば慶應のそれは魂のラグビーです」。翌朝の新聞見出しは敗戦校が主役「慶應の魂のラグビー開花」。創部から78年後魂のラグビーがその時から社会的に認知され代名詞となりました。日本ラグビーのルーツ校でありながら泥臭いchallengerの姿勢。慶應ラグビーを応援いただく皆様に、共感していただくところです。
さて、OBについて、卒業してもなお黒黄会員の熱い思いと血の結束はなぜ生まれているのか。石川忠雄元塾長の評です。「この塾に学びそしてラグビーを愛し育んだ人々が、長い年月をかけて培ってきた伝統を思う時、私は絶妙ともいえる調和の良さを強く感じさせられるのである。なぜならば、伝統を創り出す要因が、物理的な「時間」そのものではなくて「人」であり、もっと突き詰めて言えば、「魂」の集積であるからに他ならない」。
核心を突いた「魂の集積」の伝統を塾長に評価いただき意を強くした次第です。
早慶戦の草創期はどうだったのでしょうか。第1回早慶戦前夜、明治39年早慶野球の応援トラブルに端を発した両校のスポーツ交流禁止は16年にも及びました。早稲田ラグビー創部4年後、積極的な早稲田と指導的立場の慶應の強い志により大正11年ついに第1回ラグビー早慶戦が実現、両校スポーツの雪解けは早慶ラグビーの絆から始まりました。第2回は関東大震災が9月に発生し、中止説も大半の世論に「かかる混乱時に行うことが意味がある」と第1回で決めた好天確率の高い11月23日に決行。復興の息吹を日本全国に吹き込んだ早稲田戸塚球場での試合となりました。第3回は有料試合問題を積極的に提案する早稲田に対し、アマチュアリズムを崩さない慶應と長く厳しい議論の末、日本初の有料試合として行われ、今日の日本ラグビーの起点となった試合でした。
早慶ラグビーの先達は、ラグビーのみならず社会の先導者として時代を切り拓き走り出しました。柴田監督は勇退後、応援側に回り、歓喜に沸いた秩父宮正面スタンドから檄を飛ばす先は、今度は孫世代。「けいおうフォワード!」と熱血応援団となり、長い間慶應名物となっていました。我々柴田監督の教え子達も魂のラグビーとしての評価が内外に定着した時期の当事者として、若い世代へ確実につないで行かねばなりません。100回の各試合に潜む人間ドラマと全世代の魂を力にしてアマチュア大学ラグビーの発展とこれからの時代を切り拓いて牽引することを期待して、革ボール時代に教わったように彼らの胸元へボールをしっかり投げ込んで行きたいと思います。
早慶戦 通算戦績20勝7分73敗。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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慶應義塾體育會蹴球部黒黄会会長